「わたしとピティナ」ep19:鈴木慶子先生

「兎も角、指導の勉強がしたい」と、48年前に小さな事務所のバスティン研究会に足を運んだのが、ピティナとの出会いです。
その後立ち上げた教材研究会にも所属し、毎週のようにピティナ本部やセミナー会場に通い、様々なセミナーで有りとあらゆる勉強をさせて頂きました。
その間、故福田靖子先生とお会いする度に、ロビーで楽しく個人的なお喋りもしました。
先生が開口一番に仰った
「日本のピアノの先生があまりにもピアノが下手でがっかりしたわ!」
「ピアノの先生達が勉強するために、指導者協会を作ったのよ。」
更に、
「先生達を上手くするには、コンクールしかないのよ。」
これらの言葉に、私は強い衝撃を受けました。
靖子先生は大変な先見の目をお持ちでした。
アメリカにいらして、「ピアノの教本はこれだ!」と、導入から中級まで繋がるバスティン教本を日本に持ち帰られました。確かに先生の仰るとおり、単発の導入書は既に日本にも沢山有りました。
その後、我々バスティン研究会の講師達で、各教材の日本語訳をする為に毎月本部に通い、研究会の後、翻訳に専念致しました。
又、一般社団法人取得の為に、靖子先生が毎日のように役所に足を運ばれ、大変ご苦労されていらしたのを目の当たりにしておりました。これらのご足労は、全て「日本のピアノ教師の格を上げる為」と、お身体を壊してまでの行動でいらっしゃいました。
その頃のピティナ主催のセミナー、コンサート、コンペ等は、日比谷の第一生命ホールで行われ、その何れかの休憩の折に靖子先生より「埼玉に支部を立ち上げて!」とお願いされましたが、まだまだ勉強している我が身、その時はお断りし、初代支部長が埼玉県支部を立ち上げられ、私は2代目として引き継ぐことになりました。
その他本部の仕事としては、企画委員会にて藤澤克江先生、二宮裕子先生の下で、その後フェスティバル委員会と名称が変わり、播本枝未子先生の下でお手伝いをさせて頂きました。
バスティン研究会からは、高崎バスティン研究会講師に依嘱され13年間通い、今だに高崎の先生方とお目に掛かると、同窓会の様な懐かしさで一杯になります。
ピティナを通して様々な勉強をさせて頂いたことは勿論のこと、ピアノ教師はとかく孤の世界になりがちな職種、何と言っても全国の先生方と少しでもお知り合いになれたこと、これは他では得ることの出来ない貴重な宝物で有ります。
この春の総会にて、埼玉県支部の方は、三代目の支部長にバトンをお渡し致しました。ピティナ創立60周年、コンペ第50回開催、誠におめでとうございます。ますますのご発展を心よりお祈り申し上げます。
皆様の記憶に残るピティナとの思い出や、大切に保管している写真・グッズを募集しています。会員、参加者、保護者の皆様、どなたでもご参加いただけます。
あなたとピティナの歩みを文章で教えてください。(長文・メール送信も可) 人生の節目にあったピアノ、指導の現場での気づきなど、形式にとらわれず自由にお書きください。
- 初めてのピティナ参加の思い出
- ピティナでの思い出エピソード
- 私のピティナ史(ピティナとのかかわりの変化)
- ピティナで培った〇〇が今に生きています
- ピティナで見つけた宝物(生きがい/仲間/恩師/アイデンティティ…)
- 支部、ステーションの設立から今までの道のり
思い出のアルバムや引き出しの中に、懐かしいものはありませんか? 当時の様子がわかる写真やグッズを、短いコメント(200文字程度)を添えてお送りください。
- 思い出・懐かし写真(ステーション設立時、表彰式、公開レッスン、〇〇と記念写真…)
- 思い出・懐かしグッズ(昔の記念品、パンフレット、採点票…)
- メールでの送付をご希望の方はform@piano.or.jpまで
皆様のご応募を、心よりお待ちしております。







