「わたしとピティナ」ep7:山木田 真紀先生

わたしが初めてピティナ・ピアノコンペティションに出場したのは、幼稚園年長のときでした。
同じ教室の子が参加していたこともあり、勧められるがままに初めてコンクールという舞台に立ちました。当時はコンクールの意味もよく分かっていませんでしたが、楽しく演奏した記憶だけが今も朧げに残っています。
そのピティナの予選で、偶然仲良くなった子がいます。
結論から言ってしまうと、その出会いが、今のわたしにつながっているのです。
音楽の道を意識し始めたのは、A1級で全国大会に進んだことがきっかけでした。当時の夢は、「ピアノの先生」になること。ピアノを弾くことが好きで、何より先生という存在が好きだったのです。A1級で全国大会に導いてくださった先生にも、音楽の道を志すきっかけをいただいたことを、今も深く感謝しています。


少し経ってから、A2級の予選で出会った友だちが師事していた先生のもとで学ぶことになりました。そして今も変わらずお世話になっています。もしあのときピティナに出ていなければ、今こうしてピアノを弾いて生きているわたしはいなかったかもしれません。
振り返ってみると、わたしのピアノ人生には常にピティナがありました。
さまざまな課題曲に出会い、多くの音楽を知り、好きな曲が増えていきました。うまくいかないこと、悔しいこと、思うように結果が出ないこともたくさんありましたが、それも含めて、まさに青春でした。当時着ていたドレスの色、高揚感、張り詰めた空気を、今も鮮明に覚えています。


小学校高学年になる頃には、漠然と音楽高校に進みたいと思うようになっていました。その後、恥ずかしながら人より長めの反抗期を迎え、コンクールで思うような成績が残せなくなった時期もありました。それでも舞台で演奏することが好きだったので、音楽高校、音楽大学、大学院へと進み、コンペとステップには、幼稚園から大学まで定期的に参加し続けました。
幼少期のわたしは、まだ自分の世界の小ささに気づいていませんでしたが、歳を重ねるにつれて世界の広さを知ることとなります。ピティナに出ることで同年代に努力家で素晴らしいコンテスタントが数多くいることを知り、自分の世界が大きく広がっていきました。
ピアノを弾いて生きていくきっかけを与えてくれたのも、素晴らしい先生方や友だちとの出会いをくれたのも、ピティナでした。
わたしは国際コンクールで賞を取ったわけでも、留学経験があるわけでもありません。進路に迷い、「他にも上手な人がたくさんいる中で、わたしがピアノを弾く意味はあるのだろうか」と、一般就職を考えた時期もありました。
それでも今、こうして大好きなピアノを弾き、教えながら生活しています。
ピティナで弾いた課題曲を、今でも本番で弾くことがあります。
これから何歳になっても学ぶことを諦めず、愛を持ってピアノに向き合っていきたいです。
そして、ピアノへの愛を、ピティナを通して次の世代へ伝えていけたらと願っています。

皆様の記憶に残るピティナとの思い出や、大切に保管している写真・グッズを募集しています。会員、参加者、保護者の皆様、どなたでもご参加いただけます。
あなたとピティナの歩みを文章で教えてください。(長文・メール送信も可) 人生の節目にあったピアノ、指導の現場での気づきなど、形式にとらわれず自由にお書きください。
- 初めてのピティナ参加の思い出
- ピティナでの思い出エピソード
- 私のピティナ史(ピティナとのかかわりの変化)
- ピティナで培った〇〇が今に生きています
- ピティナで見つけた宝物(生きがい/仲間/恩師/アイデンティティ…)
- 支部、ステーションの設立から今までの道のり
思い出のアルバムや引き出しの中に、懐かしいものはありませんか? 当時の様子がわかる写真やグッズを、短いコメント(200文字程度)を添えてお送りください。
- 思い出・懐かし写真(ステーション設立時、表彰式、公開レッスン、〇〇と記念写真…)
- 思い出・懐かしグッズ(昔の記念品、パンフレット、採点票…)
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皆様のご応募を、心よりお待ちしております。


