「わたしとピティナ」ep16:岩野めぐみ先生

特別企画
「わたしとピティナ」エピソード
Episode:16
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ピティナとの出会い
岩野めぐみ先生(愛知県)

ピティナとの出会いは、私が5歳(幼稚園年長)の時でした。

私にとって、保育園に通うよりも、一番幸せな時間がピアノを弾いている時でした。そんな私を見て、母が、5歳の子供でも受けられるようなコンクールはないかと当時の「音楽の友」の広告の欄を見て、福田靖子先生に直接お手紙を書いたのです。

又、本格的なピアノの指導をして下さる先生はいらっしゃらないか、その全てにすぐお返事を下さったのが福田靖子先生でした。

1977年第1回目、幼稚園の年長だった私の講評用紙に(昔は、藁半紙でした)福田先生が、一番高い点数を入れて下さり、「才能あり!すばらしい!」と一言書いて下さったのが嬉しくてたまらなかったのを覚えています。

第1回コンペティション

又、その当時は、補助ペダルもなく、「おすまし」という曲を弾くのに、ペダルが沢山使いたい私は、困ってしまいました。すかさず、市田儀一郎先生が「立って弾いたら?」とおっしゃって下さり、審査員の先生方は、クスクス笑って、本当に和やかな雰囲気の中、立ってペダルを踏みながら「おすまし」を演奏しました。第1回目からのコンペの参加者である5歳の私は、東京文化会館で本選(今の全国大会)に出場させて頂き、最年少ということもあり、努力賞を頂けました。

幼稚園生で、初めて東京へ行くのに新幹線に乗り、行った事がきっかけで、そこから、ピティナ=ピアノ一筋になる人生を歩み始めます。

小学1年生の時に受けた第2回目の全国決勝大会で銀賞を頂いた時は、本選でぜんそくがひどく、東京駅の長い階段を登る事が出来ず、地べたにへたりこんでしまった私を見かねて、母が私を背中におんぶして、長い階段を上がってくれました。そんな最悪の状態で演奏した本選の結果を当時のPTNAの方からお電話で「21番(私が弾いた番号)受かってます!」とお電話がありました。その時の母の声が、「21番?21番?本当に21番ですか?嘘ではないんですか?21番?」声がブルブル震えていたのを今でも鮮明に記憶しています。

第2回全国決勝大会表彰式(第一生命ホール/昭和53年8月29日/田村宏審査委員長)

その時の言葉に出来ないような嬉しさ、又、同時に全国決勝大会で銀賞を頂いた時には、人生初の「悔しい」という感情が芽生えました。今から振り返ると、当然なのですが、なぜ、金賞でなかったかということを一から厳しく叩き込んで下さったのが、小学1年生のコンペ後に出逢えた播本枝未子先生です。播本先生は、私が小学1年生の時に、世界的に著名なベラ・シキ教授をお迎えして、播本先生のお宅でレッスンをして下さるというので、ドイツ語の通訳をして下さいました。その時、いい先生に巡り合いたいという母の強い情熱が実り、福田先生が播本先生を紹介して下さいました。3歳から、自分勝手に楽しく弾いていたピアノを芸術的な演奏をするには、本番で演奏するときに、どのくらいのレベルまで弾けていなければならないかの全てを小学1年生の幼い子供に徹底的に叩き込んでくださいました。中学3年生でG級を受けたときは、前の日にフィンガートレーニングの御木本澄子先生のお宅に泊まらせて頂いて、全国決勝大会に臨みました。

ベートーヴェンの32の変奏曲や、ショパンのアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズのカットが、前日に出されて、自分ながら、アドリブでそのカットを上手くこなして、奨励賞(第4位、前田賞副賞)受賞することが出来ました。

その後、ウイーン国立音楽大学へ留学したきっかけは、やはり、小学2年生で福田先生が連れて行って下さったアメリカ演奏旅行の存在がものすごく大きいです。小学2年生の私は、約3週間学校を休み、アメリカのソルトレイクシティにある、ブリガムヤング大学のステージで現地のお客様から、熱狂的に迎えられました。その時、ステージの袖で、待っていた小学2年生の私は、「あなたは、ピアノの道を歩みなさい」という神の声を聞いたのです。

その大きな機会を頂いた時から、日本の音大を出たら、外国語を学び、いつか、必ず、ヨーロッパの音大で学びたいと固く心に誓いました。そのきっかけを作ってくださったのが、ピティナです。

私は、今、指導するときに、生徒達を教えるというよりは、その子が、何らかの体験をして感動した時に、「こういう人間になりたい」というきっかけを作ってあげることが導いていくということだと思うのです。

音楽の世界の事は、何もわからなかった母と私に福田先生は、いつも遠い私達の住む三重県の自宅にまで、何度も足をお運び下さり、バスティン先生や、ベラ・シキ教授とご縁を繋いでいただき、一生の恩師である播本先生に出逢わせて下さったのです。

そして、33歳の時、ピティナ初の指導者賞を福田成康専務理事様から297名の指導者を代表して受け取らせて頂いた時は、感無量でした。ピティナに出逢えていなければ、母が福田先生にお手紙を書いていなかったら、アメリカ演奏旅行に行っていなかったら、留学もしていなかったと思います。

そのどれか1つ欠けても、現在の私にはなっていません。

指導者賞受賞(2005年8月/ホテルニューオータニにて)

今、現在、全国各地へ審査させて頂くたびに、50年前の創立当初を思い出して、胸が一杯になります。

5歳の頃から今年で55歳になる現在まで50年もの長い間PTNAの先生方には、本当にお世話になっています。

どんどん、人間は変わっていく中で、あえて変わらない勇気を持った自分のピアノの道、この道を神から授かった啓示を歳を取れば取るほど強く胸に刻み、今後もPTNAと共に歩んで皆様のお役に立ちたいと思います。

ある日突然、ということはなく、3歳から始まった私のピアノの道は、ピティナに出逢ったことで、どんどん道が拓かれていきました。キラキラした夢が沢山詰まった場所がピティナなのです。

60周年、誠におめでとうございます。現在の私を育てて頂いた場所がPTNAです。何もかも全て感謝しています。益々のご発展を心よりお祈り申し上げます。
  • ピティナ指導者、参加者

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